プロフィール

7ヶ国で働いた元外資系営業ウーマンです。

華やかな人生だと思われがちなのですが、
全くそんなことはありません。

高校は社長出勤

共働きの親から、毎日学校まで車で強制送迎されていました。

成績は下の下で補講・赤点のオンパレード。
受験の年は、1月1日にも登校しなければならないほどでした。

センター試験はもちろん散々で、希望大学には受かりませんでしたが
秀でた能力がある者は優遇するというユニークな制度に救われ、
国語が唯一196点だったことで、進学することができました。
国語だけは才能があったらしく、当時の国語教師から
「あなたの国語能力に惚れている」とラブレターをもらったことがあります。

お金大好き大学時代

文系の大学は暇なので、宴会コンパニオンやバドガール、
AV女優のゴーストライターをしていました。
今でも仕事を選ぶ決め手は、乳首を見せない範囲内でクリーンな高時給!です。

就職活動では10社ほどから内定をもらい、
一番給料が高く、面白そうな広告代理店に入社しましたが
業界の北朝鮮と呼ばれるほど独裁でブラックな会社でした。

北朝鮮式の会社でうつ病デフォ

40人いた社員も半分がうつ病で退職。
休みもボーナスもなく、パワハラ炸裂。
社長の息子兼上司から
「お前は二重人格どころやない、五十重人格や」とか
「お前会社員向いてないぞ。辞めろ辞めろ」など暴言を浴びせられ続ける日々。
憧れていた上司もうつ病で退職し、毎月誰かの送別会が行われていました。

既存の会社の仕事を回しながら、毎週飛び込みで150社訪問。
スケジュールによっては1日で150社訪問しなければならない日も多々ありました。
その場で名刺を破られたり、金魚の入った生臭い水槽の水をぶっかけられたり、
AV制作会社に突撃してしまい、モザイク処理作業を無理矢理見せつけられたり、
変な宗教法人でドアを開けた瞬間、黒編みタイツのおじさんたちがゴロゴロ床に転がっていた
事務所もありました。

そんな思いをしながら150社訪問しても、手応えがあるのは1社程度。

新規開拓が怖くなって、降りる予定のバス停で降りることができず、
ずっとバスに乗って巡回していたこともあります。

専業主婦っぽい人達が楽しくランチしてるのが羨ましくてたまらなかった。
こっちはお腹は減っているはずなのに食欲も湧かず、
座りたいためだけに入ったファミレスで味もしないワンコインランチを
2、3口食べ、また飛び込み営業しなければならない。

苦労を耐え抜いて、新規開拓しても報酬額は3,000円。

朝7時半から勉強会が開始されその後掃除。
帰るのは早くて夜9時。
毎週の営業会議は文字に出来ない罵声の嵐。
2時間立ちっぱなしにされて顔面1mmの距離で
罵詈雑言を浴びせられ、顔中唾だらけです。
まともに聞いていたらこちらも気が狂うので
心に鉄壁のガードを作る技を習得しました。
人から何を言われても平気なのは、この体験のおかげかもしれません。

だいたい週末はイベントがあるので出社して
もちろん代休・有給なんてのはありません。

大学の同窓会があった時に他の人の話を聞いて
みんななんて天国のような会社で
ゆるゆる働いているんだろうと感じました。

会社に行くのが本当にツラく、会社を出た瞬間涙が止まらず、
ワンワン泣いているのでバスにも乗れず、
会社から駅まで泣きながら帰る日が続きました。

壊れる身体・・・

上司と営業同行中、トイレで意識を失ったこともあります。
人生初救急車だったのに覚えていません。
原因は過労でした。
起きたら病院のベッドの上。

まだボンヤリとしているなか、社長から連絡が入りました。

「おい、今日は休むんか」

横には心配して仕事場から駆けつけてくれた両親。
母は涙目です。
友達の間でも厳しくて有名だった母。
車椅子で病室まで運ばれているとき、
そんな母がポツリと「辞めてもいいんよ」と。

この瞬間、何かが壊れました。

倒産やら解散やらトンズラやら・・・

会社を辞めようと決意してから半年。
なんと会社が倒産しました。
20年以上続いていて地元では広告業界の北朝鮮と呼ばれるほど
それなりに有名だった会社なのに。
倒産の3ヶ月前は色々な大人が出入りして、汚い世界を垣間見ました。

そのとき付き合っていた彼氏が自分で会社を経営していたり
営業時代にたくさんの社長と接してきて、正直こんな人でも社長やれるんだって
レベルの人もいたので、私も社長になろうと決めました。

社長になろうと決めたものの、売るものは営業力しかない。
でも売るものがない。
そのときよく周りからウェブサイト作りたいって声を聞いていたので
ウェブ学校に通い始めました。

ウェブ学校のクラスメイトの女性4人でドロップシッピングサイトを立ち上げました。
結果、売り上げゼロ。
シングルママが離脱したのをきっかけに、あっと言う間に解散しました。

サイト作成を細々と続けていたある日、パスワードを持ち逃げされ、
支払いもトンズラされました。
契約書も作成していなかったので泣き寝入りするしかありません。

仲間と思っていた人にハメられ、不法侵入で訴えかけら、
外は危険なので部屋から出られない日も続きました。

金がないと人々はあっという間に散っていきます。

海外で価値観ブッ壊れ

しばらく無気力状態が続きましたが、さすがに何かしないと!と思い立ち、
英語の専門学校に通い始めました。
このときは「外国人の友達ができたらいいなぁ」くらいの動機でしたが、
のちの人生に大きな影響をもたらしてくれます。
外国人との交流の仕方を学び、一気に海外に興味が湧きました。

あるとき、Facebookをぼんやりと眺めていたら、
憧れの人からプロジェクトのチームメンバー募集の告知が流れてきました。
マカオを拠点にSNSを使って、オンラインで新規事業の立ち上げを行うとのことで
仲間を募集していました。
マカオがどこかも知りませんでしたが、即応募。

マカオでは、ピチピチ色白で中性的なコソボから来た上司のもと、
中国、フィリピン、香港での仕事も手伝えてエキサイティングな毎日でした。
仕事が終われば、カジノかクラブに突撃。
日本の常識は海外の非常識。
海外の常識は日本の非常識。
価値観の崩壊。

人生の中で一番の転換期となりました。
信じられないほど金持ちな人たちと接していたら
自分の中の固定概念がガラガラと崩れました。
海外に興味を持ち始めたのはここからです。

マカオのプロジェクトが終わった後は、医療関係でワシントンD.C.へ。
とにかくいろんなことがひたすら自由でした。

ワシントンD.C.での生活も終わりを迎える頃、
このまま日本に帰っても面白くないなぁと求人サイトを眺めていたら
インドネシアの新聞社が営業職を募集していました。
現地面接必須だったのでダメ元で応募してみたらまさかの合格。

またもやジャカルタかジャマイカかも曖昧なまま、今度はインドネシアへ。

外資系で揉まれまくった営業力

成果主義の会社だったので、売り上げ目標さえ達成していればほぼ自由です。
外資系なので、むやみな数打ち戦法は通用しません。

上司や他の業種の営業からのアドバイス、
海外のやり方・書籍などを読み込みながら、
いかに効率よく営業ができるかを突き詰めました。

その結果、あまりにも短時間で売り上げが上がって
仕事時間が有り余って本当に毎日暇になったので
暇つぶしで走り始めたら国際大会で準優勝するまでになりました。
1位はケニアからの招待選手。
地元メディアにも取材され、賞金ももらいました。

東京パラリンピック事務局の方がfacebookでこの活躍を見て、
インドネシアで開催されたアジアパラリンピック大会の通訳に任命されました。

私より言語が堪能な日本人はたくさんいましたが
彼らは情報発信をしていなかったので、私が選ばれた可能性が高いと分析しています。
やはり情報発信と実績は大事です。

現在は中小企業・病院・塾のコピーを考えたり、
通訳やマーケティングのアドバイスを行なっています。

時間が余りまくってしかたない。
効率よく営業・仕事できる秘訣をぶっちゃけます。
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